†. 12月16日。焼畑の蕪、種取りと少しの収穫を得ることができました。
ここまでの流れを振り返ります。
火入れしたのは北面の急傾斜地で、下部はダムの建設残土を盛った平地、上部斜面を30mあがったところには孟宗竹が密生しています。平地と接する下から10mほどの場所のみ、9月中旬まで西からの直射光が、1時間ほど入ります。つまりは日陰です。
通常は火入れはおろか作物を栽培するには選択から外れる場所ですが、数年前、北西面の半日陰地で思いの外蕪ができたことから、やれるのではと踏んでいたわけです。しかし、当初の目論見は少しずつ崩れていきます。
まず火入れ予定が2週間ほど後ろにずれて8月末となりました。準備の遅れによるものですが、残暑が長く続くことが長期予報からもほぼ確実であり、後ろにずらす方が良い面もありました。次に火入れ後にはじめてわかったことがありました。想像以上に地盤が軟弱でした。というより日照を期待していた下部は、上部から土が崩れ続けている谷状地だったのです。焼畑には不適地です。
決定的だったのは、9月に入っての豪雨です。強烈に種子と土が押し流されたのが1回。追い撒きをして幼芽が出始めた頃に、弱くなっていた表土とともに再び流れてしまったのが1回。ふかふかのゆるい急傾斜の土は小さな種子が根を深く下ろし切る前に、ポロポロと崩れいくのでした。数えるほど、20株ほどでしょうか、残ったのは。
そうして斜面最上部の6m幅くらいのところと一坪ほどの緩傾斜地の群だけが残りました。追い撒きを繰り返したため、種子もほぼ使い果たしていたので、種子が取れるだけはどうかうまく育ってくれることを願いました。
(続きは改めて加筆します)
蕪は元来、同種内でも資源配分の作用機序にかなりの幅があり、葉、根系とその一部でもある実(胚軸)、どの部分に重点を置くかが異なります。雑種性が強いということなのかどうか。交雑も非常に容易であるため、地域で多種多様な蕪がつくらてきました。
次年度の火入れは同じ場所の上部になります。
†. 8月31日。火入れを終えました。
†. 7月下旬、夏の火入れへ向けて竹の伏せ込みと藪払いなどやっています。
†. 5月29日、畑田カブ(再生の試み)の種子とり。不織布で覆った方の実入りが悪かったのですが、試してみましょう。おじいちゃんは「身体がよう動かんようになって、なにもかにも遅れてしょうがない」とおっしゃっておられましたが、道具はいつものようにていねいに置かれていました。
†. 5月27日、タカキビの発芽を確認。うまくできますように。仮設的バリケードの補強とともに柵の完成を急ぎます。7月だったでしょうか。猪が全部掘り返してしまいました。柵は牛を想定していましたので、猪にはなす術なし。夏に掘り返しをされるのは、10年来この山でははじめて。




