月別アーカイブ: 2016年1月

みざわの館林地での竹林整備研修

まとめはいずれ。……3月31日までには必ず。
●竹の生態について
……わからないことが多かった。研究が進んだのは近年。とはいえ不明なところは多い。山林の利用が変化している中での竹の拡大、荒廃という問題。「つきあう」というスタンスが大事だと思う。その場しのぎ、目の前のことしか考えないというのは、なにかことをし損じるのではないか。
……整備指針はお配りしたものが参考になる(抜粋集)。森林組内など団体組織で取り組むのではなく、個人で自分の山に手をつけられるのであれば、まず健康な状態に戻していくこと。拡大したものを小さくするという考え。孟宗竹であれば、タケノコ生産林として残すということ。自家用とおすそわけくらいができるように。
……タケノコについて。買い取ってくれるところもあるようだ。軽トラ3杯くらいとれれば。
……いつ切ればいいか→荒廃した竹林の最初の一歩は「手間がとれる時」「いつでも」というのが基本。おすすめは12月〜2月。雪が積もっているくらいがいい。理由として消し炭がつくりやすい。荒廃竹林では枯竹が大量に出る。燃やすのにいいのはこの時期。乾いているので燃えやすいのと、延焼しにくい。地面がつねに湿っているので。
……外に拡大しているとき、いちばん外の竹を切ることも重要だが、内部の3歳以上の竹を切ることで、内部での新竹の芽を出させることで、エネルギーを外に向けさせないことも重要。これも「バランス」を考えること。
……竹はクローニー植物。遺伝子レベルでみれば、竹林ひとつがひとつの生命体(個体)である。全体で生存最適を目指している。しかも60年〜100年単位で。1本1本をみるのでなく、全体をみて、少なくとも30年以上のスパンでつきあうことを提案したい。いま不要だからといって、30年後も同じだとは限らない。想像力をめぐらせてみましょう。

●チェーンソーの目立て
……ベテラン。よく使っている人でも知っていないこと、間違っていることが多い。

●伐倒について
……角度を最初に決める方法がいま主流。
……チャップスの着用が義務づけられた。
……突っ込み切りについて。

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●チェーンソー目立て講習

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消し炭をたくさんつくったの巻

1月17日の「里山の竹林とつきあう技術研修その2」で、消し炭づくりをやりました。けっこう大量の「消し炭」ができたのですが、どなたかほしい方がいらしたらば今のうちならおわけできます。
下の写真は、燃やしているところ。

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製法はいたってシンプル……のようであって、そうでもないのですが、まずは「国史大辞典」を参照してみましょう。こちら。

普通に木炭とよばれる炭の歴史は、人類が火を用いるようになった時から始まる。食べ物を焼いたり寒さを凌いだりするために燃した薪の「焚き落し」を始末してできた軟質の「消し炭」が木炭の原体であるからである。縄文・弥生遺跡などから出土する炭の多くは、燃えさかる薪の下積みになっていた薪の不完全燃焼によって炭化したものであるが、点火しやすくて火持ちがよい上に、煙を出さない炭の効能を知るようになると、地面に穴を掘って薪を積みあげ、上積みの薪だけを燃して下積みの薪の炭化をはかった和炭(にこすみ)に近い消炭が作られるようになる。

そして、今回の大きな収穫として、大変「よく燃えた」ことが挙げられる。昨年9月中旬の火入れのときには、燃えにくくて苦労しました。今回何が違っていたのでしょう。

① 竹材の含水率が低くなって乾燥していた……燃やしたのは主に6〜7月に伐採した竹。9月には長雨による影響も加わってかなり高い含水率だったと思われる。今回も、雨が続く日もあったが、雨と雪とでは違うのか。時間の経過による自然乾燥が進んでいたということか。積まれた竹の下の方はまだ青さを残しているものもあった。たたくとカンカンと高い音がしていかにも乾いていますという感。枯竹の中にはじとっと水分を含んでいるものもあったが、全体の2割未満だったのではと思う。

② 材をなるべく密に重ねていった……要するに、材と材が密になるようにした。具体的には玉切りしたことと、枝をある程度払ったこと。火勢が出てからは浮くような材も入れたが、初期の「積んだ」状態では材と材を密にした。

③ 点火には十分に燃えやすいものを&次の段階には乾燥した竹材を密に重ね→その上には枝つきの長いものもまぜる……火勢が出るまでは慎重に丁寧にやったということと、火勢が出るまでには想像以上に材がいることを計算して積んだ。

④ 火勢が出てからは、燃えにくいものも投入したが、かえって「じっくり燃える」ことに寄与したのではないか。

⑤ そうとうに火勢がついても、延焼するような燃え方はしなかった。炎が内側にまわりこむ。外へとひろがらない。どう延焼させるかはまた違った方法が必要なのだろう。

 

⑤の課題克服へ向けて、さらに探求を重ねていきたい。

正月カブを求めて〜その2

ありました。正月カブ。ここには何かあるはず……1年ほど前から気になっていた場所に。
庭で野菜を洗っていたおばあちゃんに聞きました。

・正月カブ?そりゃ最近の人が言うとることで、昔から「年とりカブ」ていうわね。
・正月はこのカブがないと年をとれない。歳神さんに供えるものだし。
・(米を収穫して最初に)千歯こぎを使う前には、かならず、(米で山をつくって……この部分うまく理解できず)その上に、このカブを立てる。
・ゆがいて食べる。甘みがあっておいしい。
・春には花の芽をつんで食べる。これもおいしい。
・自然に生えるもの。

「生えている」のは山の一番際のところ。畑の一番奥といっていいのか。
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 2〜3本わけていただいたので、どうやって食べようかと試案中。雑炊系でいこうかなあ。
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竹炭からできるものへの妄想と希望と〜その1

さくらおろちblogに書いたものを転載しつつ、補足していくために。
まず、これらのことは「奥出雲山村まるごと体験」の中でも「体験」できますよ〜ということですね。

さて、本題。写真は、みざわの館にある窯でつくった竹炭です。竹炭はいっとき「ブーム」になりました。ブームは既存のシステムに対する挑戦という側面もあってひとからげに否定はいたしませんが、その挑戦は大概は失敗に終わります。すると、それは大きな歪みと疲弊をもたらします。
竹に限らず炭づくりの「ブーム」も何度か繰り返された後、いま、どうするか、どうなるか、という段階なのでしょう。
まずは机上で統計をみてみようと、いくつか調べた「記憶」があります。現在稼働している島根県東部の炭焼き窯は片手におさまっていたかと。さくらおろち湖のまわりの集落でも、もう長らく使っていない窯がいくつもあります。
そんななかで、昨年春に火をいれて以来、とまったままの炭焼き窯が、これというわけです。

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昨日ふと、思いついたのは、洗浄水として使ってみてはどうかということでした。製品も数多くでてはいます。そして、みざわの地名の由来は「御澤」であり、聖水のわきいづる地という由緒をもっています。
はてさて。
まずは洗浄水をつくってみたいとおもったまで。

その昔、木灰を洗濯に使っていたというのは、川で洗濯をしたことのある世代にはかすかに記憶があるのではないでしょうか。私は木灰のアルカリ性が殺菌効果をもつからだと思っていましたが、どうやら間違いのようです。
竹の洗浄液は、ちょいと以前、ちょうど竹炭のブームの頃、竹炭と塩をいっしょにして洗濯するということが行われていた時からのヒントに基づくようです。
現在市場にでまわっている製品のサイトをみると、竹炭をくだいたもの+αという製法をもっているところが大半です。

そして、もうひとつ。竹紙をつくるときの繊維の煮熟には、木灰を漉したものをかつて使っていたのですが、「いや漉さなくても、上澄みをすくうだけでいいのでは。草木染めの人たちはそうしているよ」という助言をいただき、はたと、あぁ、それならばやってみようと考えていたこともあります。

そう、いま考えている試案は、「竹灰をためた液体の上澄みをすくって、コーヒーを漉す用途のフィルターで漉した」液と、「竹炭を砕いたものを煮沸したあとの液体」を。このふたつを1対1、あるいは1対2の割合で混合したものを使ってみること。

いっしょにやってみたい人、募集中です。メールなりお電話なりでお問い合わせください。

ローカルナレッジを求めて。

竹と山の学校ー環境セミナーの日がせまっている。「ぐるぐる」は2週間後にせまり、「人口減少のリアル」もデータの読みをはじめねば。そして、この一連のセミナーにおける私自身の隠れテーマは……。
「ローカルナレッジ」、すなわち「地方の知」は可能か?
クロード=レヴィストロースを「脳を使う野蛮人」と揶揄し、野生の思考の「科学=論理」至上主義を批判したC・ギアーツ。
ほとんど忘れ去られたかにみえるその限界を超えて、ローカルナレッジをみてみたい。あまりに大きくですぎ? いや、それくらいの冒険心がなくては、島根の山村で生きることはできませんでしょう。地方創生という名の中央集権にあらがうあり方を求めてみようじゃありませんか。

木を切る。料理をつくる。畑をつくる。道具をつくる。
山がそばにある生活は、
家族の時間と経済をどう変えうるか?

講師の有田さんは、飯南町に移住し、夫婦で廃屋を直しながら3人の子どもと暮らしています。その働き方と家族の時間、研究テーマである中山間の経済、さまざまな話題と事象をクロスオーバーさせながら、なかなか聞けないストーリーが展開されるでしょう。
乞うご期待!
皆さん来てね〜。

ぐるぐるまわる経済、環境、そして技術。https://www.facebook.com/events/908667762542657/

奥出雲の山村まるごと体験〜農業研修地の紹介

循環型農業研修体験をあげていますが、どんなところなのか?をちらっとだけご紹介します。 (1)ダムの見える牧場……「山地酪農」。聞いたことありますか? 放牧酪農を山でやるといえばとらえやすいのかもしれません。奥出雲は役牛として牛飼いが盛んな時代がありました。子牛を買ってきて育てて売る。あるいは持っている牛を貸し出す。家々には自家用(耕作用)の牛がいたもので、いまでいえばトラクターが農家に一台は必須であるように、実用に供しているものでしたが、一方でその世話を通じて、心の絆のようなものが人と牛との間にはありました。数日牛の世話をしていると、人がひとりひとり性格も体力も違うように、牛にも一頭一頭の個性があり、人格ならぬ牛格のようなものの存在を感じるようになります。

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 この牧場を経営していらっしゃる大石さんご夫妻です。奥さんは広島出身、大石さんは松江市出身です。

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(2)阿井の農村 こちらも牛ですが、肉牛です。そして牛糞を堆肥化して田んぼにいれておられます。堆肥センターでつくられたものを使う農家が多いなか、自家製、そしてはで干し。 こちらの農家は響繁則さんですが、森の名手・名人であり、原木椎茸栽培の達人です。山、田んぼ、畑、牛。 天候や時期によって作業はさまざまで流動的ですが、牛のお世話から、山仕事、畑仕事、なんでもありと思って下さい。

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(3)そのたいろいろ 上のふたつを中心に考えていますが、移住してこられた自然農でおいしく美しい野菜をつくっておられる若い夫婦農家への訪問はじめ、臨機応変に対応させていただきます。

正月カブを求めて〜その1

「奥出雲の「正月カブ」をご存じですか?」 メールでそう聞かれて、「?」でありました、私。正月の年とりカブならば、少し知っていますが。それは平田蕪。メールの返信をそのまま以下に。

 さて、奥出雲町等の「正月カブ」ですが、初耳でありました。
 自生の蕪で正月の頃にとる(春の七草のすずな?)ものでしょうか?
 仁多、横田で少し聞いてみます。
 正月の《年とりカブ》のことを正月カブと呼んでいたのでしょうか?
 そうであれば、さくらおろちの事務所のある平田(旧平田村)にあった在来種、平田蕪があります。
 郷土史の文献などでは、平田蕪を「年とりカブ」として記載しています。村の庄屋の覚え書き正月の年とり蕪として松江藩に献上した記録が残っているのだといいますが、未見です。
 平田蕪は旧平田村のなかの門地区にある石田寺の周辺でつくられていたと伝えられるカブで、『雲陽古書実記』など古文書にも奥出雲地方の名産として数えられているものです。
 昭和初期まで、すなわち戦前までは盛んにつくられていたようですが、他品種との交配がすすみ、「幻」のカブとなりました。数年前から、形質を残しているカブを交配させて「先祖返り」をさせようとする試みが進んでいます。私は昨年、試験地を見学しました。いくつかの畑でやっていますが、土壌の影響が大きいのかなあという印象です。pHなのか微生物なのかはわかりませんが。隣の村にもっていっても、根が細くなってしまい球状にならなかった、「平田蕪」にはならなかったといわれている特徴は、そのまま受け継いでいるようです。
 白カブで、葉縁の切れ込みが深く、裏にうっすらと棘毛があることと、根形が偏平で、葉の付け根がわずかにくぼんでいるのが特徴だといわれています。ただ形質的特性についての分析は未だ知りませんし、されていないのではないかなと。かつての平田カブを知っている古老から聞きながらの試行が続いています。
 1月2月に甘くなり、硬く煮崩れしないところがよかったらしいです。自給用につくられていた地元では、朝の団子汁の実として喜んで食べていたといいます。
 さて、ウェブなどであたってみたところ、カブの自生種として、島根あるいは仁多には「正月カブ」があると、ほうぼうで記述がみられます。わかるのはそこまで。
 カブの祖先野生種は,もともとムギ畑の随伴雑草だったようで,ムギ類の世界への伝播とともに一緒に分布域を広げ,世界各地で栽培化された。完全に作物として成立した状態で伝播しなかったせいか,カブの仲間は世界各地で自生が見られる。我が国にも,この植物の自生種が見られ,ノラナタネ(かつて青森県の蕪島に自生,既に絶滅),舳倉(へくら)島のナタネ(石川県),平家カブ(兵庫県日本海岸に自生),菜種島のナタネ(鳥取県),正月カブ(島根県)などがそうである。
 さて、手がかりは現場にしかないようです。まず、とっかかりとして奥出雲町内の何人かにきいてみました。4人ほどか。役場も含めて。3人は聞いたこともないと。1人は、「聞いたことがあるような、ないような」。
 「Aさんに聞かれてみたらどうですか?」 あぁ、Aさん、そうですね、行ってみます(耳が遠いので電話では無理)。
 そして、もうひとり。「館へいく道をまがらずにまっすぐいくと、峠がありますが。あそこを左にちょっと行ったところの1軒目、Nさんところで、それも聞かれたらわかるかもしれませんよ」。
 思いました。もう文字の記録にも残っていないものが、お年寄りたちの記憶に残っている。あるいはまだ、そこに種があるのかもしれない。そんなものがいくつも、ここには残っているのだろうなあと。
 Nさんのところは、土用豆探索の続きです。明日、ちゃちゃっと行ってきます。だめならまた次をあたらねばならんので。