正月カブを求めて〜その1

「奥出雲の「正月カブ」をご存じですか?」 メールでそう聞かれて、「?」でありました、私。正月の年とりカブならば、少し知っていますが。それは平田蕪。メールの返信をそのまま以下に。

 さて、奥出雲町等の「正月カブ」ですが、初耳でありました。
 自生の蕪で正月の頃にとる(春の七草のすずな?)ものでしょうか?
 仁多、横田で少し聞いてみます。
 正月の《年とりカブ》のことを正月カブと呼んでいたのでしょうか?
 そうであれば、さくらおろちの事務所のある平田(旧平田村)にあった在来種、平田蕪があります。
 郷土史の文献などでは、平田蕪を「年とりカブ」として記載しています。村の庄屋の覚え書き正月の年とり蕪として松江藩に献上した記録が残っているのだといいますが、未見です。
 平田蕪は旧平田村のなかの門地区にある石田寺の周辺でつくられていたと伝えられるカブで、『雲陽古書実記』など古文書にも奥出雲地方の名産として数えられているものです。
 昭和初期まで、すなわち戦前までは盛んにつくられていたようですが、他品種との交配がすすみ、「幻」のカブとなりました。数年前から、形質を残しているカブを交配させて「先祖返り」をさせようとする試みが進んでいます。私は昨年、試験地を見学しました。いくつかの畑でやっていますが、土壌の影響が大きいのかなあという印象です。pHなのか微生物なのかはわかりませんが。隣の村にもっていっても、根が細くなってしまい球状にならなかった、「平田蕪」にはならなかったといわれている特徴は、そのまま受け継いでいるようです。
 白カブで、葉縁の切れ込みが深く、裏にうっすらと棘毛があることと、根形が偏平で、葉の付け根がわずかにくぼんでいるのが特徴だといわれています。ただ形質的特性についての分析は未だ知りませんし、されていないのではないかなと。かつての平田カブを知っている古老から聞きながらの試行が続いています。
 1月2月に甘くなり、硬く煮崩れしないところがよかったらしいです。自給用につくられていた地元では、朝の団子汁の実として喜んで食べていたといいます。
 さて、ウェブなどであたってみたところ、カブの自生種として、島根あるいは仁多には「正月カブ」があると、ほうぼうで記述がみられます。わかるのはそこまで。
 カブの祖先野生種は,もともとムギ畑の随伴雑草だったようで,ムギ類の世界への伝播とともに一緒に分布域を広げ,世界各地で栽培化された。完全に作物として成立した状態で伝播しなかったせいか,カブの仲間は世界各地で自生が見られる。我が国にも,この植物の自生種が見られ,ノラナタネ(かつて青森県の蕪島に自生,既に絶滅),舳倉(へくら)島のナタネ(石川県),平家カブ(兵庫県日本海岸に自生),菜種島のナタネ(鳥取県),正月カブ(島根県)などがそうである。
 さて、手がかりは現場にしかないようです。まず、とっかかりとして奥出雲町内の何人かにきいてみました。4人ほどか。役場も含めて。3人は聞いたこともないと。1人は、「聞いたことがあるような、ないような」。
 「Aさんに聞かれてみたらどうですか?」 あぁ、Aさん、そうですね、行ってみます(耳が遠いので電話では無理)。
 そして、もうひとり。「館へいく道をまがらずにまっすぐいくと、峠がありますが。あそこを左にちょっと行ったところの1軒目、Nさんところで、それも聞かれたらわかるかもしれませんよ」。
 思いました。もう文字の記録にも残っていないものが、お年寄りたちの記憶に残っている。あるいはまだ、そこに種があるのかもしれない。そんなものがいくつも、ここには残っているのだろうなあと。
 Nさんのところは、土用豆探索の続きです。明日、ちゃちゃっと行ってきます。だめならまた次をあたらねばならんので。

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